<経歴>
1933年、秋田県生まれ、東京都町田市在住。
詩集『屍』『廃屋の記憶』『わが禁猟区』。
詩とエッセイ集『アメリカの裏側では』。
ノンフィクション『運命の三叉路』。
日本詩人クラブ会員。
「日本海詩人」「埴」同人。
<詩作品>
いろり端の追憶
1
黎明の舞台は 朝仕事に出る一行からはじまる
肌に優しい 洗いざらしの野良着
蔦で編んだカゴは細やかな振動で 背をなで
今日も健在な蟻の稼働
ほこらには 寡黙が最大の美徳と説く神さまがいた
おしゃべりな孫が
宇宙の狭間に 浮遊していると
春雷に打たれる不安にかられた
幼くして身につけた流儀は
重たい系譜からの脱走だった
独りが特殊でなく 普遍と腹をきめれば
悩みは解消されると知った
あるところに
父親の上座と母親の下座が空っぽの
炉ばたがあったとさ
ほどよい温さに まどろんでいると
燻った煙が眼を刺し 爆ぜた熾の弾丸が降ってくる
いつでもその図式
平穏と非平穏は手を組み
初めそっけなく平穏のポーズで
だが静けさの裏かわに なにやら
得体の知れない生き物が 息をつめていた
2
火箸で いろりの灰をかく文盲の祖父がいた
字を書いてる気どりだが 書いてるわけはなく
絵をかいてる気楽さはなく
際限なく手を動かして おのれのでなく
竈の平衡感覚を司っているだけの話
頭は悪くなさそうなのに 文盲とは解せない
炉ばたに丸いちゃぶ台をすえ 夜なよな
激情家の作文指導がはじまる 小学生の孫を相手に
小雪が音もなく降る神秘的な ひと冬かふた冬
幻想と見紛う現実があったとさ
次の 柄にもない風景は
口下手な祖母の語り部である
「昔あるところに……」と しんみり幕はあき
炉ばたにぴったりのムードだが
「それから、ねえ早く次……」
小観客に急かされるほどの うねりはなく
耳障りなソロ 低音の子守唄は
昨夜も 万人の不眠にかかわったのだろうか
わが禁猟区
母方の祖父は 日露戦争の傷痍軍人で
ハンサムなガン・マニア
わたしが幼児のころ………
無口な老狩人は
どこかに古傷があるらしく
手か足か 肩の辺りをかばっては
銃口の向きを 人間から獣に変え
野山を 戦場のように駈けめぐっていた
いろりの煙がよどむ太い梁
午睡をむさぼる栗毛の馬が二頭いた
………と穏やかな かやぶき屋根の庭先が
衝撃の風景に一変した
土間の奥 祖父の仕事場では
天井から逆さ吊りされた獲物が
瞬きを忘れた眼から 雫を滴らせ
中開きの口元に 鋭い呻き声を残して
抗議の姿勢を崩そうとしない
ウサギ きじ きつね たぬき………
みんなかわいい わが禁猟区の仲間たち
恐ろしさのあまり 遠巻きに
物語りの主人公の行く末を案じた
「さよなら」「ごめんね」が
わたしのささやかな祈り
最大級の償いは
殺人者を 鼻であしらうことくらいだった
「よう 今夜のごちそう何がいい?」
獲物の皮をはぎはぎ問いかける
猟銃使いの太っ腹
どんぶりで どぶろく飲む
勲章を授かったえらいおじいさん
母が誇る実父でも
わたしは与しない
口をきかずじまいで 別れた
敵弾にやられたのは
祖父の傷ついた足ではなく
殺しになれた心 と知った
なめした白ウサギの毛皮と
きつねのえり巻が届いた
「忘れて行ったみやげだ
温いよ ほん物だからなぁ」
やさしい心遣いが添えてある
もうひとつの 銃弾をくぐった孫への
慰問だった
祖父が逝って半世紀
わたしはまだ 殺人者を許せない